Saturday night fever?


ちらちらと粉雪の舞い始めた冬の夜。
「冷えると思ったら雪かあ…」
窓の外を見て新次郎は呟いた。
「起きてても寒いだけだし、今夜はもう寝ようかな…」
幸い明日は休みだ。家のことは朝起きてから済ませればいい。そう決めた新次郎が立ち上がり、寝る支度をしようとした時だった。
トントン。
ドアをノックする音が聞こえてきた。
「……?」
こんな夜更けに一体誰が……来客の心当たりがない新次郎は首を捻りつつ玄関へと向かう。
「はーい、どなたですかー?」
歩きながらドアの外へ向けて声をかけてみたが返事がない。代わりにもう一度、ドアを軽く二回ノックする音がした。まるで早く開けろと催促するような。
「……」
新次郎は不審に思いつつもドアのノブに手をかけた。片手でノブを押さえたまま、もう片方の手で鍵を外す。外の気配を注意深く窺いながら、慎重にドアを開けていく。
そしてドアの前の人影を確認した新次郎は思わず声を上げた。
「サニーさん…!?」
目の前に現れたのは見慣れたスーツに身を包み、その上から黒のロングコートを羽織ったサニーサイドの姿だった。
傘は持っていないようで肩がわずかに濡れている。雪のちらつく中を急いできたからか、心なしか息が荒い。いつになく上気した頬が外の寒さを如実に物語っていた。
「と…とにかく上がってください。ここじゃ何ですから…」
新次郎の言葉にサニーサイドは黙って頷くと、促されるまま中へ入ってきた。新次郎がドアを閉め鍵をかける間も終始無言だった。
いつもと様子の違うサニーサイドに戸惑いつつ、とりあえず新次郎はいつものように話しかけてみた。
「今、お仕事の帰りですか?こんな遅くまでお疲れ様です」
今日サニーサイドは外回りの仕事だとかでシアターに一度も顔を見せていない。だからその帰りにこうして立ち寄ってくれたのだろうかと思い、訊いてみたのだが相変わらずサニーサイドからの返事はない。
依然沈黙を保ったままのサニーサイドの態度に、さすがに新次郎も不審感を抱き始めた。
「…サニーさん?どうかし――…」
言いながら後ろを振り返ろうとした。だが出来なかった。
気がついた時には背後からきつく抱きすくめられていた。
「……っ……」
冬の外気に晒されていたコートはひんやりと冷え切っていて、身体に回された両腕や背に当たる広い胸は容赦なく新次郎の体温を奪っていくのに、耳元にかかる吐息だけは驚くほど熱い。新次郎の背筋がぞくり、と粟立つ。
「…サニーさ…」
身動き取れないなりにそれでも何とか首を回して後ろを振り仰ぐ。すると今度は強引に唇を塞がれた。
新次郎が驚くより早く、唇の隙間に割り入り中へと侵入してくる。
「……っ」
重ねた唇はやはり冷たく、なのに交わる舌や吐息は熱い。舌を絡め取り、吸われる度に新次郎はいつになく性急なその口づけに眩暈がするほど酔いそうになる。
「…ん、…ふ…ぅ……」
不自然な体勢での無理な口づけに、息苦しさ以外のものがくぐもった吐息に混ざりだした頃。
ふいに抱きしめる腕の力が緩められた。
「……?」
同時に唇も離される。口づけから解放された新次郎はサニーサイドの腕の中、何とか身体を回しサニーサイドと向かい合った。
「…どうかしたんですか?今日のサニーさん、なんだか変ですよ…」
サニーサイドの目を覗き込みながら恐る恐る窺う。すると当然、目が合った。
色の付いたレンズの向こう、淡い光に揺れる瞳にいつもの不遜な笑みの面影はなく、ただ真っ直ぐにこちらを見下ろしている。熱を帯びた視線に射すくめられ、新次郎はどきりとした。まるで金縛りにあったように身体が動かない。ただ心臓だけが早鐘のように時を刻み、刻々と頭に血が昇っていく。
背に回された手に再び力が込められる。今度は新次郎も逃げようとはしなかった。
無言で求める眼差しに誘われるまま、新次郎はゆっくりと瞳を閉じた。





「――――…へっくしっ!」
新次郎は自分自身のくしゃみで目を覚ました。
「…うー…さむ……」
あまり気分のいい目覚めではない。新次郎はむずむずする鼻をこすりながら再び布団の中に潜り込もうとした。
だがしかし。
「――グッモーニン!」
頭上から降ってきた高らかなその声に阻まれてしまう。
「オハヨウ、大河くん!ごらん、今朝はいい天気だよ」
昨夜の雪がウソみたいだね、と語る溌剌とした声の前では朝の静寂も眠気も何もかも吹き飛ばされてしまう。
耳慣れているはずのその声が今朝はやけに頭に響く。新次郎は思わず眉を顰めた。
頭だけでなく身体も重い。それでも新次郎は渋々起き上がると窓の前、ベッドサイドに立つサニーサイドに朝の挨拶を述べた。
「…おはようございます、サニーさん」
「オハヨウゴザイマス。…珍しいね、キミがボクより遅くまで寝てるなんてさ」
「はあ…」
得意気な顔でこちらを見下ろすサニーサイドを新次郎もまじまじと観察した。
…どこからどう見ても、いつものサニーサイドである。むしろいつもより元気なくらいかもしれない。とても昨夜と同一人物とは思えなかった。
あれは一体何だったのか――そのことを問いただそうと新次郎が口を開きかけた時だった。
「いやあ、昨夜は助かったよ」
同時にサニーサイドも口を開いていた。その言葉に新次郎は言いかけていた質問を引っ込めると、まずはおとなしく続きを聞くことにした。
「実は昨日、風邪引いたみたいでさ」
「…は?」
すると次いで発せられたのは予想外の台詞だった。思わず目が点になる新次郎をよそにサニーサイドは続けていく。
「…って言っても喉がちょっと痛い程度で大したことなかったんで、真面目にお仕事してきたんだけど。そしたらさすがに疲れちゃってね」
「はあ…」
「だから大河くんちに来たってわけ」
「…あの…話の筋が見えないんですけど…」
ひとり勝手に話を締め括ってしまったサニーサイドに、当事者でありながら事情の飲み込めていない新次郎はおずおずと聞き返した。なんとなく嫌な予感を感じながら。
「わかんない?」
「…わからないから聞いてるんですけど。風邪とぼくの家に何の因果関係が…?」
「わかんないかなあ」
サニーサイドは軽く左右に首を振ると、肩を竦めてこう言った。
「ほら、熱がある時って人肌が恋しくなったりするだろう?」
言いながら新次郎の頬に手を伸ばす。そして長身を折り曲げて新次郎の頬に軽く口づけてから、耳元で囁いた。
「――昨夜のキミは、最高の人肌だったよ」
ご丁寧に新次郎の目を覗き込んで、にやりと笑う。そこまで言われて新次郎は初めて全てを悟った。
なんてことはない。
昨夜、一言も発さなかったのも。
あの熱っぽい眼差しも、熱い口づけも抱擁も、何もかも全部―――
「…風邪だったんですかぁ!?」
引っくり返った声で叫ぶ新次郎。
「うん。だからさっきからずっと、そう言ってるじゃない」
あっさり頷くサニーサイド。
「だったらまっすぐ家に帰って寝たらいいじゃないですか!なんで、あんな…」
「やれやれ、わかってないなあ大河くんは…」
新次郎が至極まっとうな正論で食ってかかると、サニーサイドは悪びれもせず言ってのけた。
「風邪のときは暖かくして眠るのが一番なんだよ」
「だからって人を湯たんぽ代わりにしないで下さいっ」
「…もしかして、怒ってる?」
「当たり前です!」
「――その割にはキミもまんざらじゃなさそうだったけど?」
「なっ……」
「いやあ、あんなに素直な大河くんを見たのは初めてだよ」
大河くんって、ああいうのがお好みだったんだねえと、したり顔で頷くサニーサイドの言葉に新次郎は顔から火が出る思いだった。
目の前の男も過去の自分も、その横っ面を張り倒してやりたい衝動に駆られたが、もう遅い。昨夜の痴態を思い返すと本気で眩暈がした。
顔が熱い。頭がグラグラする。頭を抱え込んだ新次郎にサニーサイドが能天気な声で更に追い討ちをかける。
「まあまあ、いいじゃない。お互いノリにノッって楽しんだんだし」
「そういう問題じゃ―――」
ありません、と怒鳴ろうとした。
しかし急に声を張り上げようとしたせいか、勢い余ってむせてしまう。
「ゴホゴホッ……ゴホ…ッ」
「おいおい、大丈夫かい?大河くん」
「ゴホ……はい、だいじょ―――…」
言いかけて、また咳き込む。やがて咳が治まっても咽喉に残った違和感に新次郎は眉を寄せた。
「……」
「…大河くん?」
立て続けに大声を上げたから喉が嗄れたのかと思ったが、どうも違う気がする。
喉にそっと手をやる新次郎。喉の奥にしこりのようなものを感じるのは気のせいでは、ない。
いやに頭が重いのも身体が熱っぽくて気だるいのも、昨夜の情交の名残だとばかり思っていたが何だか違う気がしてきた。むしろこれは―――
「…もしかして風邪、うつっちゃった?」
新次郎の思考を先読みしたかのようにサニーサイドが言う。
押し黙る新次郎の額にサニーサイドが手を当て熱を測る。そして医師のような口ぶりで診断を下した。
「熱がある。風邪だね」
「……」
がっくりとうな垂れる新次郎にサニーサイドは珍しく殊勝に謝ってみせた。
「ごめんごめん…ボクが悪かった。謝るよ」
もっとも、その後つい余計な口を滑らせてしまうのがサニーサイドという人なのだが。
「うつすつもりはなかったんだけどさ…やっぱりうつっちゃったか」
やっぱり、ではない。
そう抗議したかったが、そんな気力は残ってなかった。
「サムライは風邪なんか引かないと思ってたからさ、大丈夫だろうと思ったんだけどね」
そんなわけないでしょう。心の中で呟く。
「サムライも人の子なんだねえ…なんだかがっかりだよ」
勝手に変な期待をして、勝手に失望されても困る。
「ああ、でも大河くんはまだ半人前だもんね。無理ないか」
…確かに自分はまだまだ未熟だし、鍛錬不足や気の緩みが招いた結果だと言われれば否定はできない。
が、しかし。
「…サニーさんには言われたくありませんっ!!!!」
「おわっ!?」
新次郎は思いっきりそう叫ぶと、手近にあった枕を力いっぱいサニーサイドに投げつけた。見事顔面に命中し、思わずよろめくサニーサイド。
「た、大河くん、落ち着いて…」
「いいから出てってくださいっ!」
立ち上がり、跳ね返ってきた枕を引っ掴むと今度はそれを振り回し、何度もサニーサイドを殴りつける。
「ごめん、ボクが悪かった!言い過ぎた!反省してる!」
突然癇癪を起こし暴れだした新次郎にサニーサイドは慌てて謝ったが、もう遅い。火に油を注いだだけだった。
「うるさいな!出てけって言ってるでしょう!?」
「大河く…」
「サニーさんの…バカ――――っっっ!!!!!」
新次郎の絶叫、サニーサイドの悲鳴、乱暴にドアの開閉する音が、いつもは静かなアパートの朝に響き渡る。

やがて静けさを取り戻した室内をサニーサイドが恐る恐る覗き込むと、案の定そこにはベッドに辿り着く前に力尽き、床に倒れ付した新次郎の姿があったとかなかったとか。



新次郎の欠勤は三日間に及んだが、そのことについてサニーサイドから何のお咎めもなかったことは無論言うまでもない。
それどころか珍しくフルーツカゴのお見舞いまで支給される太っ腹ぶりだったが、見舞いに来たリカが瞬時に完食してしまい、新次郎の口に入ることはなかったという。






【fever】熱・熱狂
…というわけで軽く引っ掛けてみました。(タイトル)
ところで。
熱冷ましと言えばアレですよね。
座薬。
ダイアナさんに処方してもらって、ほとほと困り果てればいいと思います。
人にやってもらうという羞恥プレイも、それはそれは大変萌えなのですが
苦心しながら自分でやろうとする姿も大変可哀想で、えらい萌えます。
どっちも捨てがたいんですが、どうしたらいいものか。
真剣に悩んでみたんですが結論は出ませんでした。うぬう。
本当に大河くんには困ったものです。けしからん!